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2013.06.12

魔性の女 挿絵展

わたくし 破滅的に体力ないので、すべての行程が「わたしの体力」を基準に考えています。
もちろん次の日仕事であるということも考慮に入れ。
だから常に旅行のテーマは「いかに無理しないか」 です!
どうせだめ人間です!

朝、無理のない程度の時間の新幹線で上野まで。

仙台で今回クラフトフェア初体験の方と合流。
わくわくです♪

まず行ったのは「弥生美術館」。

「魔性の女」挿絵(イラストレーション)展
-大正~昭和初期の文学に登場した妖艶な悪女たち-

が見たい~!
以下HPからそのまま・・・

明治末から、大正、昭和初期にかけて日本の文学に登場した「魔性(ましょう)の女」を、
当時のイラストレーションによって紹介します。
泉鏡花「高野聖」の女、谷崎潤一郎「痴人の愛」のナオミ、
江戸川乱歩「黒蜥蜴」(くろとかげ)の緑川夫人など、
官能的な魅力によって男性を支配し、ついには破滅させる、
あるいは美の追求のためなら殺人をも厭(いと)わないという「怖い魅力」を秘めたヒロインに、
我々は強く惹きつけられます。
時には、優しく善良なヒロインよりも強烈な魅力を感じさせられることもあるでしょう。
現在では目にする機会の少ない、彼女たちの当時の絵姿を、
ストーリーとともに紹介し、耽美・幻想の文学世界を楽しんでいただきます。

まず時代が好み。
小さい美術館ですが、内容はとっても濃かったです。

髪が長くて はかなげで 色が白くて 線が細い女性。
それでいて自分の世界を持っている女性。若干間違っていても。

まあ そんな外見だけに寄ってくる男性はだいたい中身見てませんから。
痛い目にあっても仕方ないと思うけどね~

でも女性の色気っていうのはそういうところにあると思うのよねん。
というか、自分なりに「理想の女性像」というのがあって、

それが小村雪岱の描く女性だったり、
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ウォーターハウスの人魚だったり、
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ミュシャのJOBだったりするわけです。
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ミュシャは魔性の女展にはありませんが・・・

橘小夢の絵は惹かれるものがありますね~

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でも Mさんも太鼓判の魔性の女はこの方です。

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フィギュア欲しい~!!!

こうして並べると 自分の好みがダダ漏れで恥ずかしいな・・・





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Posted at 20:40 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2013.06.12

美術館プラスまつもと

せめて月イチで更新しようと思ってたのに・・・

今更ですが、松本から帰りましたー!!とっくにね!!

まつもとまつもとと言っても、初日は東京うろうろ。

何件美術館まわれるか、挑戦してきました。
上野着いて、タクシーで弥生美術館→タクシーで東京藝大美術館→地下鉄で国立新美術館。
その後松本。

できる!これくらいなら行けます!学習したぞ~!

ネタがないわけじゃないけど、一つ一つの感想があるので
記事はじっくり書きたいと思います。
そのうち全くタイムリーでもなんでもなくなると思うけど。
Posted at 19:41 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2013.05.11

南蛮もちー!

南蛮もち ってご存知でしょうか。

江刺の一部地域の郷土料理なんだそうです。

名前からすると 辛い もち って感じでしょうか。

それが汁物なんですねー

しょうゆベースのお雑煮の辛いものを想像していただければ。

私この南蛮もちが好きで、ずっと作ってみたかったんです。
だって材料は別にその辺で買えるもの(失礼)だし、
でもこのピリ辛な感じはただ唐辛子ぶっこんだだけなのか 炒めているのか・・・

ということでれっつ調理。

とりあえずしょうゆ味のお雑煮風汁を作ります。

材料は 今回は
大根 人参 ごぼう 油揚げ 長ネギ 戻した干ししいたけ 鶏肉 切り餅 唐辛子。

野菜と油揚げ、鶏肉はちょっと大きめのさいの目切り。
しいたけは戻しておく。

唐辛子は今回は房タイプだったので、適当にちぎって種を取り出しておく。

なべにごま油を適当にひき、唐辛子投入、火にかけ、なんとなく辛みを出す。

鶏肉投入!炒まったら野菜投入!

すべてにいい感じに火が通ったら、水を適当に投入!

あくを取り、酒 砂糖 しょうゆ つゆ 等で適当に好みのおしょうゆ汁味に味付け。

油揚げ、長ネギ投入 干ししいたけを戻し汁ごと投入!

味を見て 辛みが足りなければまたちぎった唐辛子を投入!

切り餅をちょい小さめに切り、投入!

もちに火が通って浮いてきたら出来上がり。

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ひっつみよりも簡単。
この作り方、合っているかはワカリマセン!
でも大体理想の味になりました。

なにより、つゆや具材がまんべんなくピリ辛っていうのが美味しい。
一味や七味を加えたお雑煮とも違う、既にもう全体的に辛いんです。

まあね、お雑煮って 「炒める」工程ないじゃん と言ってしまえばそれまでなんですが。
ただ材料ぶっこんで、辛くなかったら失敗じゃん と思って炒めました。

たぶん4人分くらいの量に、唐辛子3本使いました。

で 唐辛子も食べちゃいました。大丈夫です。

汁が余ったら雑炊にしよう。
Posted at 18:03 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2013.05.10

すむところについて考える

震災備忘録 という記事でさらっと触れていますが
震災二日後に実家を出ました。

もちろんそれ以前にすべて段取り済みで、
地震があったから家を出たわけではありません。

私はあまり昔のことを指折り数えて思い出すのは好きじゃありません。
頭がもやもやしてくるんです。

でもこの数年の変化に関しては、文章に残しておきたいなと思いまして。
今後の覚悟のために かな?

2010年の冬、祖父との確執でもう家の中(つか私)が限界でして。
12月に引越し直前まで行きました。
でも父のとりなしでナシに。
その後父が仙台転勤になり、その時点でいい時期に家族で仙台に行こうと思っていました。
会社にもそう話し、一年後には辞めるつもりでいました。
私が地元嫌いなのも、家の状態も知っていた社長はうんうん、と聞いてくれました。
本当に感謝してます。

2月、箍が外れた状態で再度の限界を迎え、警察呼ぶ寸前に。今でも呼べばよかったと思っている。
今度はマジで引っ越します!
荷造り完了!部屋も決めたしあとは出るだけやー!!

そして巨大地震。

地震当日ですよ、部屋の契約したの。3.11。
停電の中で自然光頼りに判子押したのを覚えてます。
あんな中店を開けてくれた不動産屋さん、ありがとう!
とにかく部屋に入れなければ、引越し屋さんが来てくれても何もできん!と焦りました。

実家を出てからは割と淡々と過ぎましたかねー

辞めると伝えたにも関わらず、正社員にしてもらいました。
次探すときにいいだろうと言われ。
色々思惑がないわけではないのは分かりますが、素直に嬉しかったです。

2011年の秋ごろくらいまで普通に生活してました。
地元のお祭りを「職場で見るの今回で最後だなー」と思ってました。

状況が変わったのは父が石巻に転勤になったときです。
仙台に家族で暮らすつもりで部屋も借りていたし、
そのつもりで辞めるって言っちまったよ(笑)!

今更覆せないので辞める気でしたよー 
でも社長に「状況どうだ?」と言われ、暗に「残ってもok」的なことかっ!と都合よく解釈し
事情を話し、「末永く宜しくお願いします(?)」とお願いしました。
正直ここは分岐だったと思う。別にこのまま辞めたって良かったんですよね。
初めて「私どうしたらいいと思う?」を連発しました。本当に分からなかった。
で、結論として、大嫌いな地元に残ることにしました。この選択は後悔してません。

その前後から、一軒家はリアルにいけるだろうか と考えるようになりました。
2010年12月に探したとき、4人で普通に暮らせる部屋は、7万以上の家賃が必要でした。
そのことはずっと頭にあったし、もともと一軒家願望は強かったので。

地元に残ることとともに決意したことが「家を建てる」でした。
最初は冗談と思ったでしょ(笑)?

20代後半、こないだ正社員になったばかり、女性で未婚です。
家のローンなんか組めるかっつーの!

まず土地がないし。土地は地道~に探し、同時進行で業者も探し。
建築業者の担当サンに散々駄目出しされ、2012年の夏に土地がやっと決まりました。
一括で両親が購入。本当に感謝してます。場所が今住んでるアパートの道一本先という近さ。

そこからは大体いわゆる「家を建てる」スケジュールどおりだと思います。
こんな感じ、というラフ案を元に、銀行から融資を受ける。
ただ私だけでは住宅ローンなどというものに太刀打ちできないので、
父と連名で組みます。一応私がメイン。年齢的なもので。

しかしこの銀行が一番のストレス要因でして!
出来の悪い担当者に当たり、アレがない、コレがない、また来て、の繰り返し。
仮審査が通ってもうほぼ融資決定なので
住宅業者は土台組み始めるし、でも払う金がこっちに入ってこないし!
払えないのに工事進みまくるし!

そんでもって時期を同じくして仕事で一番頼りにしていた人が辞めてしまって。
もーおおおおああああ!!!!なんてこと!!!!!  
このときもすっごく色んなことを考えました。仕事のこと、自分のこと・・・
それが2013年1月前後のオハナシ。

お金が入った瞬間、ストレスが吹っ飛んだのを実感しました。
鬱々としてて周りには迷惑かけたと思います・・・すまん。

地鎮祭を3月10日にしましたが、この日は記録的な暴風。
ええ テントぶっ壊れましたよ。
「覚悟しろよ!!」と言われたようで身の引き締まる思いです(笑)

そして今、骨組みが出来上がって、窓も入り、ほぼ「家」になっています。


自分がローンを組むことのリスクと、可能性を狭めることは重々承知です。
自由をなくすこともアリだろうと思うんです。
「どこにでもいける」状態は、いいようで責任がないと思う。
特に今の私にはそう思います。

実家を出たのは私のわがままです。それに付き合わされた他の家族の、実家を奪ったのも私です。
だったら実家を作らなきゃじゃないですか?
これで誰かと結婚でもして、ふら~とどこかに行けるか?
それは私の性格上無理でしょうねー

お金についてもそうです。
実家に我慢していれば、没落貴族的な生活は出来たでしょうね。
腐っても貴族、みたいな。
でも むり。

自分のお金で生活することの、地に足の着いた感じのほうが清清しい。
というかそれが普通でしょう。
ある分で暮らすのが分相応というものだろうと。

旧実家(と社長が言う)から離れて2年ちょい。ちょうど震災と同じだから数えやすい・・・
今現在他の家族は皆石巻にいて、ほぼ一人暮らしです。
ひとりだと色々考えます。

何より、離れてよかった。
当時、ずっと怒ってました。まわりすべてが面白くなかったです。
思いやるとか、他人のことを考える余裕がなかったと思います。
お金の使い方もひどかったなー
トラブルを「なんとか丸くおさめよう」なんて思いつかない考えだった。
解決策はほぼAll or nothingの極論だった。
離れて、その毒気が客観的に見えてきた。

今この歳になって、こういう経験を経て、やっと人並みに近づいたというか(笑)
まだまだ足りないでしょうけど・・・

言うまでもなく家族、
先まで考えてくれた社長、
お金で仕事しているとはいえ、悪天候の日もマジメに作業を続けてくれる業者さん
思い返すといろんな人に支えられているなと。

地鎮祭の日なんて、
本当に文字通りテントの足それぞれを業者さんが渾身の力で支えてくれたので
テントが飛ぶことなく、建てる前からお隣ともめなくて済んだんです・・・
飛んでたらえらい問題になるとこでした。
あ もちろん今もとくにトラブルないですよ。

自分の性格が「優しい」かというとそうではないと思います。
きつい方だと。
ただそれが、今までは「私はそんなこと知らんし、そんなの自分で考えろ」や
「私はここまで物事考えて行動してるのに、なんでそんなこと出来ないわけ?」
みたいな、八つ当たり的なキツさだったと思うんです。
根の深いイライラだし、常に毒っぽかった。そしてそれが「普通」だったんです。

大学の4年間、地元を離れましたが、その4年では毒が抜ききれなかった。
体調は良くなったけど、まわりとの関係性をうまくこなせるようになるには時間が足りなかった。

地元に戻って、その4年との落差に馴染めなかったですね。
ずっとあった違和感がはっきり見えた感じがしました。

当時お付き合いしていた人に
「喧嘩のときに逃げ道がなくなる、相手を追い詰めすぎる」と言われたことが
ずっと頭に残っています。
「条件つきでしか受け入れてくれない」とも。
それが「普通」だろ・・・
言われた当時はそう思っただけでしたが、今ではそれが普通じゃないことくらい分かるように(笑)
悪いことしたな、と思います。そしてよくそこまで分かってくれてたな、とも。

「家」というのは、息を詰めて緊張して過ごすところじゃないです。
「相手が自分に良くしてくれる限り相手を受け入れる」ところではないです。
もっと穏やかなところであるべき。

でも、そうでない状況で暮らしたほうが期間が長いので、
自分で気をつけて意識しないと、また同じことを繰り返すほうに傾いてしまうと思います。
そして意識している限り、そうなりかけたときの拒否反応が激しいだろうと思う。
だから 頑張りましょうね!!

こういう風に暮らしたいな、と家を建てる人はみんな考えると思います。
私の場合は「静かに、穏やかに暮らしたい」。
ちょっとにぎやかなのはOKです(笑)
休みの日に、窓を開けてぼーっとお茶を飲みたいんです。
耳栓のためにウォークマンが手放せないのではなく、ただ音楽を楽しむためにウォークマンを使いたい。

祖母の病気が決定的になったとき、「一人で暮らせる部屋を借りたい」と言われたんです。
その時、とめてしまったことを後悔しています。
世間体やお金や手間のことを考えて、それが最後のSOSだったのに気づかなかった。
そのときにカゾクが解体されても良かったんです。
本気で考えなかった。
もう同じ轍は踏みません。
何かに対して 常にそのときが最後と思って向き合おうと思う。
だから「家」を建てます。

こういう風に考えたことを忘れないように
長々と書きました。
たまに書いたと思えば長ぇし重いよ!と思う(笑)
でもブログってこーいうもんでしょ(笑)?
昨今はツイッターで連投ということも出来ますが・・・
私にとってはツイッターは情報収集ツールと対Mさん連絡用なので。


時系列で書くと自分の中で整理できて いいわー
でも当分またちんたらした記事しか書きません。

あと クラフトフェアに行くので!超楽しみですの!
「貴婦人と一角獣」展ほか、行きたい展覧会にも行ってきますの!



Posted at 23:12 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2013.05.10

おひさです

ここまで間あいたの初めてですかねー

前の記事が正月だし!ログインIDとパスワード忘れてたし!

いつからだ?怒涛の勢いで取り巻く状況が変わったんで、
とりとめのないブログを書けなくなってました。

なんつーか、もっと現実見ないと!みたいな。
いやブログが非現実というわけじゃないんですが
リアル世界で頭も精神もすり減らすことが多かったんで・・・
実際知恵熱出したし(笑)

リアルで私をご存知の方はほぼ知っていますが
私、人生で一番大きな借金をいたしました。

家 建てております。

引渡し予定は8月。もう既に「家」の状態です。

今月後半には電気配線の確認作業があります。


それなのにクラフトフェアまつもとに行こうとしている私を許して!(笑)

Posted at 17:47 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
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